他人を評価すること

他人を評価することは、危険な行為だ

人は往々にして他人を自分より上か下かで見てしまう

自分ではそういうつもりがなくとも、無意識的に判断してしまう

それによってふとした時に態度に現れる

社会に出ると上下関係は非常に重視される

役職、社歴、年齢などで必ず上下関係が出来上がる。

そのため、他人を評価し上か下かで見てしまいやすくなる。

少なくとも幼稚園や小学校の頃は他人を評価なんてしていなかったはずなのに、

いつからか自分のことよりも他人を評価することに、脳みそを使っている。

問題なのは下と判断した人に対しての態度が上からになることで、

忙しい時返事が適当になったり、相手の主張や意見に素直に賛成できなかったりする。

意識して他人を下に見ることをやめなければならない

自分が相手に下に見られていると感じた時の虚しさは耐え難い。

何でもないふとしたタイミングで感じるものだから、余計に気をつけなければならない

もちろん信頼を失うようなことをしないように自分自身気をつけた上で、

他人を評価し、下に見ることを意識してやめようと思う。

 

 

中道

「〜しすぎる」のが良くないと思っていて

例えば、優しすぎる・考えすぎるも良くないと思っている

片方に偏ることは、どんな事柄であれ危険に近付くことであると思う。

自分はバランスよく対応できる体制にある「中道」をあらゆることに意識しているし、

そういう考え方の人が好きだ。

これはこう、こういうものだ。この世界のルールだ。理だ。常識だ。こうに違いない。

こう考えるのが当然だ。こう考えられないのは不幸だ。未熟だ。

全ての決めつけや、固定観念、思想への過度な傾倒が「中道」からどちらかに振れ過ぎた結果であり、自分と異なる意見を受け入れ、理解することが出来なくなり、排他的な人間性を醸成してしまうと思う。

 

そうなってしまった人は悲しい。可哀想だと思う。

人それぞれ過去の経験や生きてきた時代背景が異なるので、考え方が違うのは当然だと思う。

自分の信念や生きる指針、原動力、人生の目的みたいなところが考えを偏ったものにしてしまうことは、当然ありうるし仕方のないことだとは思う。

ただその中でも、新たな考え方や感覚を積極的に取り入れ、常に自分の考えをアップデートしている人もいて、そういう人に自分はなりたいと思う。

 

 

 

 

楽しむから楽しい

楽しいことがあると楽しくなり、嫌なことがあると苦しくなっていた

 

人生が楽しいことだらけと思うか、苦しいことだらけと思うかは結局自分次第

 

今日フットサルで出会った方が、転職を経て不動産仲介業で働かれている方だった。

 

仕事はとても忙しく休む間もないが、同時にとても楽しいと仰っていた。

 

そう話すその表情はボールを追いかけている時同様に本当に楽しそうだった。

 

その方はまさしく自分から楽しんで仕事や趣味に向き合っているのだと思った。

 

時には楽しむことは努力を必要とするかもしれない

 

それでも楽しむことから逃げないようにしていきたい。

 

 

 

 

コミュニケーション能力と心のゆとり

心にゆとりがあると、表情が柔らかくなり声がしっかり出るので、人が寄ってくる。

 

心にゆとりがあると、ユーモアが言えるし、相手の話もちゃんと聞くことができるので、

会話が弾む。

 

心にゆとりがあると人に親切にできるので、人が喜ぶ。

 

すべらない話のストックや大喜利の力がなくてもいい。

 

コミュ力が高い人は、普段から心にゆとりをもち、なんでもない時のコミュニケーションを

大事に丁寧に行なっている人

 

今日は心にゆとりが持てた日でした

将棋

将棋は自分が知る中で最もよく出来たゲームだと思う。

駒の種類やルールが洗練されていて美しいと思う。

自分で指すのも観るのも好きだ。

棋士は勝っても喜ばない、むしろ勝った方が険しい顔をして体を縮めている。

負けた相手に対して、不快な思いをさせない最大限の努力をしているのが見て取れる

投了の後の誰も言葉を発さない気まずい雰囲気が、むしろ心地良く感じる。

将棋は自分との戦いであり、孤独で厳しい世界だと思う。

そんな世界で生きているからこそ、対戦相手にリスペクトと思いやりを持てるのだと思う。

 

将棋は見えた手をすぐ指したくなるが、それでは強くなれない

一度立ち止まって数手先までちゃんと読んでから、思い浮かんだ手が最善か

判断しなければならない。

思い立ったらすぐやる行動力が大切だと強く思う一方で、

将棋の考え方を忘れないよう心がけていきたい。

影響の輪

子供の頃、スティーブン・R・コヴィー著「7つの習慣」を読んだ。

最初の習慣である第一の習慣「主体的である」の中で、影響の輪の話が出てくる。

すなわち自らが影響を及ぼせる範囲のことで、(及ぼされる範囲でなく)

そこに集中することが主体的であることだと述べている

今の自分も含めて、多くの人が影響の輪の外のことに敏感に反応し、

感情を揺さぶられている気がしている。

芸能人の結婚、恋愛、スキャンダルなどは言わずもがな、

日本の政治、トヨタの業績や今後の展望、ウクライナ戦争や、コロナなども

自らが影響を及ぼせないのであれば、そのことについて本気で憂いたり、怒ったり、

喜んだりしても意味がないと思う。

やるべきことは、自分自身が勉強し、理解した上で、建設的な話し合いなどを通じて

考えを深め、自らの考えに近い政治家を選ぶ、もしくはそういった政治家がいないのであれば、自分で立候補すれば良いだけだと思う。

大抵の人は、しっかりと調べ切ることもせず、感情的になり批判や怒りをまき散らし、

世の中を憂いているだけだ

そして今日も、「今の政治家はダメだ」「日本はもうダメだ」「中国は何を考えているんだ」「最近の若者はなっていない」「税金が高い」「給料が安い」「みんな騙されてる・・」

と口に出しただけで一日が終わる

今の自由な世の中において、自らが置かれている状況はすべて自分の責任だと思う

現状が気に入らないなら、やりようはいくらでもある

影響の輪の中で、自らを変えることにフォーカスする人生を歩もうと思う。

 

 

 

インプットの取捨選択

現代は情報に溢れている。よく言われることだが、本当にそう思う。

 

探せば欲しい情報は大抵手に入るし、逆に言うと必要ない情報も勝手に入ってくる

 

残りの限られた20代を自分の成長のために、

 

インプットする内容も意識して取捨選択しなければならない。

 

体に良い食材を選ぶように、

 

情報も心に良いものを選ぼうと思う。